「文化復興で途上国に新たな発展のカタチを」途上国で仕掛ける理系女子 山下彩香

 

「新たな発展を生み出し、持続可能な社会を作りたい。」そう主張するのは、フィリピンで伝統産業のブランディングを手がける山下氏である。新たな発展とは何なのか、そう考えるに至った経験と今後の展望を取材した。

《プロフィール・山下彩香氏》
1985年生まれ。東京大学農学部、同大学院医学系研究科卒。2012年にフィリピンで起業。世界40ヶ国以上を旅してきた旅人でもある。失われつつある北ルソン・山岳先住民族の生き方にインスピレーションを受けたデザインと、その土地に受け継がれてきた精緻な職人技のコラボレーションによるステートメント・ジュエリーブランドEDAYAディレクター。自身も左耳が生まれつき聞こえないというハンディを抱え、マイノリティーが持つ可能性を、芸術の観点から発信することに関心を持つ。

 

マイノリティ×芸術=?

 

ーフィリピンに行こうと思ったきっかけを教えてください。

最初はフィリピンではなくてブラジルに行こうと思ってたんですね。生まれつき左耳が聞こえないっていうことがあって、マイノリティに興味があったんです。さらに小さい時から、人の心を動かすことに興味があって、大学時代にミュージカルをやったんですね。皆で1つのものを創り上げて、発信したものに対してリアクションが返ってくるんですよ。これこそ「人の心を動かしている」という実感が湧いたんですね。

その後、マイノリティと演劇っていうキーワードでいろいろ調べていたら、ブラジルのボワールの「被抑圧者の演劇」というものがあることを知ったんです。でもポルトガル語では無理だなと思って、英語圏で同じような劇をやっている国を探していたところ、フィリピンにも「被抑圧者の演劇」を扱う劇団があることを知ったんです。その劇団で2週間のプログラムに参加したあと、いろんなマイノリティの人たちに会いたいという思いがあって、フィリピン北部の山岳地帯で活動しているNGOを訪れました。そこでは環境教育の一環として、様々な民族の人が集まって演劇を創っているのですが、数週間にわたり共に活動する中で、劇の音響として使われていた竹楽器に魅了されていったんです。現在EDAYAの現地代表を務めるエドガー氏は竹楽器奏者でこの時に出会いました。

 

エドガーさん

 

ーその後どうして起業しようと思うようになったのですか?

エドガー氏はミュージシャンである傍ら、鉱山労働者でもありました。ある日彼から「鉱山に行ってみない?」って誘われたんです。私は当時、「ローカル」に対して強烈な憧れを持っていたんです。というのも、国境なき医師団など現場で仕事をしている人をかっこよいと思い、バックパックで旅行を重ねるも、そこまで安宿に泊まったこともないし、露店でご飯を食べることもあまりなくて、「優良バックパッカー」だったんです(笑)。「鉱山」て聞いてそれはもう興味津々で(笑)。

でも、実際に行ってみて、かなりの衝撃を受けました。こういう形で必死で現金を稼いで生きていかなくてはいけない人がいるのだなと。

実はその時私は大学院生で、研究のテーマも決めなくてはならなかったのですが、大学から土の研究を行っていたので「土と人」を研究したいと思っていました。その時の鉱山での衝撃が引き金となり、研究もすることになりました。一方で、日本に戻ると進路を決定しなければいけない時期だったのですが、あまり気が進まず就活のタイミングを逃してしまい、また博士課程に進む気にもなれずにいました。そんな時、自分のルーツに戻って何かやってみようと思い始めたんです。「マイノリティと芸術」というテーマで旅して出会ったものを大事にしようと思い、竹楽器で何かできないかと試行錯誤しているうちにアクセサリーに辿り着きました。

 

マイノリティーのエンパワーメント

 

ー“EDAYA”とはどんなブランドですか?

EDAYAのコンセプトは「マイノリティーのエンパワーメント」です。

現地の文化、つまり現地の人々のアイデンティティーをデザインに織り込むことで、彼らの可能性を引き出したいとはじまりました。フィリピン北部のコルディレラ山脈には山岳民族が住んでいて、現在に至るまで特有の文化を伝承してきました。

EDAYAの商品は楽器や狩猟具など彼らの生活の中で受け継がれてきた道具をモチーフにし、素材も昔から現地で馴染のある竹や籐などの自然素材を使用しています。口承や音楽によって次世代へと文化が受け継がれてきたのですが、近年それが急速に失われつつあります。伝統文化を守るためには後継者が必要です。大人数ではなくて良いので、少なくともやりたい“1人”を生む必要がありますが、やりたいという若者がなかなか出てきません。そんな状況を変えるためにどうしたら良いのか考えた時に、伝統文化を「かっこいい」と思ってもらうつまりブランディングが必要だと考えたんです。まずは自分の文化に対してポジティブなイメージを持ってもらうのが狙いです。

EDAYA2

 

また、文化遺産に関してフィリピンでは保存がほとんどされていません。フィリピンの場合、貧困改善が優先され文化保護に対する助成金がほとんど下りず、また専門家が少ないため郷土資料などがほとんど残っていません。そこで、ブランド事業の他に文化の調査と記録をして日本で展示会を行ったり、現地に戻して発信、教育活動なども行ったりしてきました。 

 

山下さん

 

ーフィリピン発の地域ブランドってあまり思い浮かびませんが…

フィリピンには自国発の地域資源を生かしたブランドの成功事例というものがあまりありません。国としては、コールセンターに代表されるBPOビジネスやOFW (Overseas Filipino Workers )を増やすことに力をいれており、そのため先進国が上でフィリピンが下という関係性からなかなか抜け出せません。必ずしも、それが悪いわけではありませんが、もっと現地が主体となって発信していく必要があるとは思います。そういった考えのもと、EDAYAでは現地に会社を作り、決定権を持たせ、クリエイティブから生産までほとんど現地主体で行っています。

さらに、会社を立ち上げたのち、2年間かけて日本の様々な地方を周ったのですが、日本では各地で地域活性化とか地方ブランディングが盛んに行われているということ実感しました。今まで大量生産・大量消費の在り方が是とされてきましたが、近年その神話が崩れつつあり、小規模でも文化的で持続可能的な社会や街づくりというものに人々の関心が移ってきているように思います。一方、これから経済発展をしていく途上国では大量生産・大量消費の方向に向かっています。しかし、田舎のほうに行くとまだ伝統的な暮らしを維持しているところが残っているんですね。現在の世の中は、物がたくさんあって一見「豊かな」社会か、遅れた貧しい社会のどちらかに分けられがちですが、そうではなく、今まだ残っている伝統を生かしつつ、かといって守りに徹するのではなく、ITなど新たな技術とのバランスも取りながら、新たな発展・開発の在り方価値観を生み出し、持続可能な社会を作ることに貢献ができたらいいなと思っています。日本の地方とフィリピンの地方を繋ぎ、双方が学び合うことでそれが実現できるのではないかと思い、交流事業なども行ってきました。

 

山下さん3

 

「アジア的な何か」が結びつける

 

ー今後の展望を教えてください。

伝統産業のロールモデルを作りたいです。そのためには他の人に参考になるような事業を作らなくてはなりません。伝統を生かしつつ、今の時代にも会う形。ある程度安定してお金を稼げて、しかもなんかかっこいいと思われるようなもの。そんなものが作れたら、それを真似するような人が出てくるのではないかと思っています。まだまだ知られていませんが、フィリピンには多くの伝統的な財産が残されています。そういったものを地方から個々が発信できるように、中間支援組織のような存在になっていけたらいいなと思っています。

 

アセナビを読んでいる若者へ向けてメッセージをお願いします!

まずはやってみることだと思います!人から話を聞くことももちろん大切なんですけど、それはその人自身の解釈なので、実際に自分が体験しないとわからないことのほうが多いです。ましてや東南アジアなんて今は激動の時代ですから、どんどん社会は変わっていってます。行ってみてそのスピード感を体感してみたら良いと思います。

 最近、私の周りでも東南アジアで就職する人が増えています。東南アジアにいると同じアジア人ということで現地の人たちと分かり合えることがたくさんあると思います。アメリカやヨーロッパ的なものではない、「アジア的な何か」が結び付けているような気もします。そこからお互いのことを知り、学び合えたら良いんじゃないかなと思います。

 




ABOUTこの記事をかいた人

関千尋

津田塾大学学芸学部国際関係学科卒。フィリピン大学に1年間交換留学し、主に少数民族について勉強していました。フィリピン国内はもちろん、ASEANの国々を旅し、魅了されていきました。文章を通して少しでもASEANの魅力を伝えていけたらと思います!