ASEANで最も熱いサッカーリーグ「タイ・プレミアリーグ」を舞台に、GMとして奮闘する日本人-チェンライ・ユナイテッド 鈴木勇輝氏

 

タイ最北部の街「チェンライ」。ミャンマーとラオスと国境を隔てる街にあるプロサッカークラブ、チェンライユナイテッドでGeneral Managerとして活躍する日本人がいた。タイのプレミアリーグで日本人選手がプレーすることはもはや珍しいことでない。2014年度は60名近くの日本人選手がいる。日本人サッカープレイヤーの活躍の場として当たり前になりつつタイで、選手ではなく、GMとして活躍する鈴木勇輝氏に話を伺った。

 

《プロフィール|鈴木 勇輝》
Chiangrai United(タイプレミアリーグ) - General Manager。アメリカ ベミジ州立大学でスポーツマネジメンを専攻。卒業後は、Fリーグのアグレミーナ浜松のフロントスタッフとして勤務。2013年シーズンより、タイ・プレミアリーグ に所属するチェンライユナイテッドのGeneral Managerとして活躍。

 

―タイに来るまでの経歴を教えて下さい。

静岡県の浜松東高校を卒業後、アメリカ・ミネソタ州の大学へ留学しました。アメリカでは最初に語学学校とコミュニティカレッジに通って、その後4年制のベミジ州立大学へ入学。そこではスポーツマネージメントを専攻して、ファイナンス、法務、マーケティングなど、スポーツビジネスに関する科目を履修しました。渡米当初は英語もあまり喋れなく、英語での授業に泣きそうになる位苦労しました(笑) 

大学卒業後はアメリカに残り、LAでリムジン会社のディスパッチャーの仕事で生計を立てながら、スポーツ関係の仕事に就きたくて、サッカー、野球、アメフトなど、いろいろなスポーツクラブにコンタクトしました。しかし、なかなか新卒を雇ってくれるクラブはなく一旦日本へ帰国。アメリカにはトータルで5年位いましたね。

日本に帰国して、地元浜松市にフットサルのFリーグに加盟する「アグレミーナ浜松」が出来たことを知り、早速クラブの社長にコンタクトしました。そこでなんとかチームの職員として入団することが出来ました。2012年のことです。クラブでの仕事は練習場の手配から試合会場の設営など、プロチームとはいえども何でも自分でやってました。

 

世界中のサッカークラブに履歴書を送付する中、巡り会ったのはタイのプロサッカークラブだった。

 

フットサル業界に足を踏み入れたちょうどその年、フットサルのワールドカップがバンコクで開催。Fリーグのクラブで働いてることだし、興味本位で観戦しに初めてタイに来ました。フットサルの試合を見る傍ら、タイプレミアリーグも観戦してみると、熱狂的な盛り上がりを見せるリーグには正直驚きでした。

タイから帰国後、プロのサッカークラブで働きたい思いが抑えられず、世界中のクラブにアプローチを開始しました。それこそFCポルト、PSV、アヤックスといった名門クラブにも自分の履歴書を送りました。タイプレミアリーグの全てのチームにもコンタクトしました。しかしどのクラブも空きポジションがなく苦戦していたのですが、ある日タイプレミアリーグのチェンライユナイテッドから返信がありました。全く期待しなかったチームからの返信に驚きましたね。返信されたメールにはスタジアムを建設したばかりなのでクラブとしてどうビジネスにしていくかプランを提案して欲しいとリクエストがありました。何としてもこのチャンスを掴み取りたい情熱で書きましたよ。

しかしビジネスプランを提出したにもかかわらず、なかなか返信が来ませんでした。1ヶ月後、やっとチームから返信ありました。2013年2月のことです。当時はいつか来るチャンスを掴むべく、ソバ屋でバイトしながら食い繋いでましたね(笑) その返信の後、クラブのオーナーとスカイプで面談、またLINEで連絡を取り合いながら今まで自分がやってきたことをアピールしました。そして2013年シーズン開幕の1ヶ月前、ついにチェンライユナイテッドへの入団が決まりました。

chiangrai united02(チェンライユナイテッドの熱狂的なサポーター達) Photo by CHIANGRAI TIMES

タイで掴み取ったプロサッカークラブでの仕事。しかし、直面したのは甘くない現実。

 

-タイに来てチームに合流して最初はどんな仕事をしてたんですか?

タイに来たあとすぐにクラブへ合流しました。けど、クラブからは特にクラブ内でのポジションや業務内容を告げられることはなく、またクラブのオーナーやCEOからの指示も特別ありませんでた。しょうがないので、チーム職員や現場スタッフにクラブの現状についてヒアリングして回って情報収集に努めたんですけど、驚くほど誰もプロサッカークラブ=ビジネスの意識がないんです。スタッフはチームの成績や入場者数、またチケットの販売実績など基本的な数字を誰も把握してないんです。来てすぐビジネスとは程遠いと感じましたね。

最初の3ヶ月はマッチデープログラム作成したり(赤字でしたけど。。)、とにかく自分で考えて動いてました。そして3ヵ月後、ビジネスディベロプメントという新しいポジションを言い渡されて、それからは監督や選手の獲得にも関わる、いわゆるGMの仕事をするようになりました。

当時はチームの調子が悪く、開幕からなかなか勝てなくて、それを打開する為の「新しい監督を探す」ミッションが与えられたました。幸い経験豊富なオランダ人監督と契約出来たんですけど、タイ独特の文化(フットボール文化)に馴染めず、またオーナーとの関係も悪くなりチームを去ることになりました。当時は使われない選手が監督への不満を爆発させたり、練習をダラダラやったり、本当に収拾つかないくらいひどい状況でした。自分が連れてきた監督だけに本当に辛い時期でしたね。またチェンライユナイテッドには日本人のフィジカルコーチがいるんですけど、タイ人のゆったりした習慣に苦労してます。私もそうですけど、そこはタイ人の特徴を考えながらタイ式でトレーニングを実施していますね。

 

-いきなりタイの洗礼を浴びたんですね。他にはどのような業務をされていますか?

その他の業務で言うと、選手獲得の他に契約書作成やリーグ戦の全ての試合をチェックしたり、あとはスクール運営など多岐に渡ります。またタイならではの突発的な業務にもしょっちゅう対応してますよ。日本人スタッフ&選手のケアも重要な仕事のひとつです。

 

-タイに来た当時給与などの条件は決まってましたか?

自分で要求した額でオーナーからOKもらって来ました。実際に記録も残ってます。けど実際来てみると約束より低い金額を言い渡されました。けどそこで喧嘩しても何も始まらないので、自分の成果を見せて上げていくしかないとその条件をのむことにしました。

 

何もかもめちゃくちゃ。だからこそ、出来ることがある。

 

-その中でどんなことにやりがいを感じますか?

何にもない環境がじゃないでしょうか。何もないので何でも自分で出来る。その分自分も成長出来る。日本の基準でやってたこっちのスケジュール管理とかめちゃくちゃでイライラしてたけど、もう慣れました。(笑) 条件や環境は決して恵まれてないけど、人として成長出来る環境がここにはありますね。今はチェンライで一人暮らしで、業務は朝9時~夕方まで。業務が終わって、ご飯食べて、カフェにいってのんびりしたり。日本にいる時よりもメリハリのある生活が出来てます。

 

-では今後の目標について教えて下さい。

まずはチェンライユナイテッドを強くしたい。その為に自分が出来ることを全力でやりたいです。今できる事に全力で取り組んでいけば今後の道も開けてくると思ってます。今後も出来ればスポーツの世界で活躍していきたいですね。

-日本にいる若いサッカープレヤー、また海外に興味のある日本人の若者へのメッセージをお願いします。

自分で動かないと何も起きないですよね。自分で動いた分だけ何かが起きてフィードバックが得られる。アメリカやタイでの経験から言えるんですけど、組織や周りの環境のせいにするのは簡単。けどそこから得るものは何にもないですよね。先ずは自分でアクションを起こさないと何も始まりませんよ。

 

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