タイで自分の教室を持つ。自分を成長させてくれたタイに恩返しをするためにわが道をゆく 大石忍氏

2017.03.09

ASEANで働く、その先へ」第2弾です!

これまで、アセナビではASEANで働く方を中心にインタビューをし、ASEANで働くリアルをお伝えしてきました。この特集では今までとは異なり、ASEANでのキャリアを積んだ後に、日本に戻って活躍してる方やASEANでさらに活躍されている方に焦点を当てています。

そして、彼らが、ASEANでどのようなキャリアを積み、現在はどのようなことをされているのかを発信していきます!

今回は青年海外協力隊員としてタイへ赴任、日本語教師隊員として勤務後、現在は帰国して大学院に通われている大石忍氏にお話しを伺いました!

《プロフィール|大石忍氏 (おおいし しのぶ) 》
1989年生まれ、千葉県出身、聖心女子大学卒業。一橋大学大学院在学中。2012年、青年海外協力隊日本語教師隊員としてタイへ派遣。帰国後、国内の日本語学校に非常勤講師として勤務。2016年、一橋大学大学院言語社会研究科入学。

人の夢を応援する日本語教師という道

大石さんの卒業生が遊びに来てくれた際の写真

ーさっそくですが、大学院ではどのようなことを勉強されているのですか?

日本語の文法や構造などについて深く学んでいます。研究として取り組んでいるのは、タイ人の漢字習得について。漢字のどういったところが難しいのかを調べるために日本にいるタイ人にインタビューをしています。

大学院で一緒に学ぶ人が自分とは異なる経験をしていることも魅力的です。アメリカで8年教えていた方、ベトナムで教えていた方。私より豊富な経験をお持ちの方ばかりで、何気ない普段の会話からもたくさんのことを学ぶことができます。

 

ーなぜ、大学院進学を考えたのでしょうか?

協力隊時代に知識不足を痛感したからなんです。タイの人は日本語教師である私が何でも知っていると思っています。私は日本代表として派遣されているわけです。

でも、例えば、「与党と野党の違いは何?」って聞かれたときに、なんとなく頭でわかっていても説明すると上手く教えられなくて。あとは、日本語教師になりたいって学生に対してもポイントを抑えた具体的なアドバイスができない自分がいました。

サブカルチャーについてもよく聞かれました。「声優のMAKOTOはどこ出身なの?」って聞かれたときは困りました(笑)。そういう時は、「時間ないから明日ね」とか言って、家に帰ってから調べて次の日に答えるようにしていました。

なので、もっとバッググラウンドの異なる多くの学生に対して、的確にかつ様々な視点からアドバイスできるような知識を深めたいって思って大学院進学を決めました。

 

ー経験を積むよりも知識を深めることの方が魅力的だと感じられたのでしょうか?

経験を積んだ方がいいと思います。だけど、日本語って、私たち日本人でも説明できないことっていっぱいありますよね。それをどうやって学習者にストンと落ちるように教えられるのかを学びたくて。

2年間タイで日本語を教えていて怖いなって思ったのが、私1人しか日本人がいないので、自己流の教え方で通っちゃったりして。もちろん、みんなが満足してくれればそれでいいのかもしれませんが、本当にそれが学習者にとって一番いい方法なのかって言われたら疑問で。

大学院は色んなところで教えていた人たちの意見を交換する場です。他の人を通して自分を見たいと思いました。

また、大学院に通いながら非常勤で日本語教師をしています。そこで、学生の進路指導や授業をしているのでインプットしたものをアウトプットする機会があり、知識と経験どちらも深められています。

 

ー日本語教師として働く環境というのは、まだ整っていない部分が多いと思います。なぜ、日本語教師として働こうと思ったのですか?

あるフィリピン人女性ととの出会いがきっかけでした。大学2年の時にフィリピンの孤児院でボランティアをしていた時に看護師として働いているフィリピン人女性に出会ったんです。ちょうどその当時EPA(経済連携協定)が発行されて、フィリピン人が看護師の研修生として日本に働きに来ていた時期でした。

その女性に「日本語は全然できないけど、日本で働きたい!日本語を教えて」って言われたんです。一応、副専攻で日本語教育をとっていたけれども、教えたこともないし、つたない英語で伝えようとしたけど、結局その女性が求めていることを教えられなくて。

結局その女性は言語の壁を感じて日本で仕事をすることを諦めざるを得ませんでした。その時、「もし、私がちゃんと教えられたらその子の夢を応援できたのかな」って思ったのがきっかけで日本語教師という道を歩み始めました。

 

就職活動を1日でやめ、青年海外協力隊員に

バンコクの日本人学校との交流活動のひとつ。日本人の生徒さんたちからのメッセージを受け取った高校3年生。

ー周りが就職活動をしている中、迷いや不安はありませんでしたか?

就職活動は1日でやめました。東京ビッグサイトの合同説明会に誰よりも早く予約して、誰よりも早く行って、誰よりも早く合同説明会から帰りました(笑)。就職することが悪いとか思っているわけではなくて、私は違うやりたいことがあると思ったんです。

そこで日本語教育を学ぶために進学か青年海外協力隊に絞りました。4年の春に進学の準備をしながら協力隊の応募をしたんですけど落ちてしまいました。諦めきれず、秋にも応募したところタイの日本語教師の職種に就くことができました。

 

ー具体的な協力隊の業務内容について教えてください。

田舎の高校、都心の高校で日本語を教えていました。実際に2つの高校では教育格差がありましたし、日本語を勉強する目的やモチベーションが異なっていたので良い経験となりました。田舎の高校では、日本語を趣味と捉えていて、選択授業の一つだからとりあえずとってみたという学生が多く、高校3年生でもひらがな、カタカナ危ういかなっていう子もいます。都心の方は、専攻として日本語を学んで、将来日本語を使って働きたいとか思っている学生が多かったので、質問の内容の質も高い。文法の違いをよく聞かれました。

 

ーその2つの高校のギャップに苦労しませんでしたか?

最初は生徒のモチベーションを保つのに苦労しましたが、徐々に改善できました。田舎の方では、どうやったら、日本語好きになってくれるんだろうっていうことを考えて、家族の写真とかはよく使いました。生徒と教師の距離が日本より近いので、プライベートの写真とかを使うとみんな集中してくれるんです。

都心では、どうやったら学生の日本語の能力を伸ばせるんだろうってことに意識を集中させていました。ゲーム感覚で友達同士で教え合うようなスタイル。先生の言葉よりも、友達の言葉の方が生徒は集中できる。生徒が生徒に教える形の授業を取り入れて、みんなから出てきた疑問に対して、私が関わるようにしました。あとは、日本から来てくれた友達を授業に連れて行って、日本語しか使えないような授業にしてみたり。

この経験は今に活きています。語学学校で教えていても、親に言われて半ば無理やり連れてこられた人、一方で大学進学のために一生懸命頑張りたい人、様々な人がいます。一人一人に合った指導を心がけることができるようになりました。

 

言語を扱う教師が感じた言語の壁

日本語キャンプで、風呂敷の使い方を紹介している様子。

ータイと日本で日本語を教えてみて異なる点はありますか?

タイで日本語を教えていたときは、信頼関係を築くために、その国の文化に沿わなきゃ沿わなきゃと思い、タイの挨拶であるワイをする習慣を尊重し、同僚の先生一人一人にしていました。

日本では、どう振舞えばわかるからそこは楽ですね。でも、違う国籍の人と働くことには抵抗や難しさはありません。

 

­­­­タイの学生が日本語を学ぶ動機ってどんなところにあるのでしょうか?

漫画、アニメっていうサブカルチャーが一つです。進撃の巨人やナルト、コナンが流行っていて、そのデザインの財布をもっている人もいました。あとは、タイには日系企業がたくさん進出しているので、タイの日系企業で仕事をしたいという人もいます。

日本語能力試験のN1を持っていると、普通のお給料にプラス1万バーツ(約3万2千円)もらえるんです。公務員のお給料の初任給が約1万5千バーツ (約4万8千円) って考えると結構大きな金額。親を楽にさせるためにと考える人が多いです。

 

ーぶっちゃけ、タイでの生活はどうでしたか?

とても楽しかったんですが、やはり心が折れることもありました。「あの先輩はタイ語も授業も上手だった」と、私の前に現地に来ていた方と比較をされたんです。ただえさえタイ語の発音が苦手で落ち込んでいたのに、比較をされてからは、授業や普段の生活でタイ語を使うことが億劫になってしまいました。

そういう時に心の支えとなる日本の家族や友達とも、派遣されてから3ヶ月間は連絡とれなかったので、ますますストレスが溜まってしまいました。日本語という言語を扱う仕事をしているのに言語に壁を感じてしまったんです。

でも、不安や悩みを受け止めてくれる心の広い方がいたおかげで気持ちが楽になりました。それから周りの人も私を日本人というより、1人の人間として見てくれるようになったので活動がしやすくなったんです。

 

ータイの人と一緒に生活をする中で思ったことはありますか?

人に関して言うと、明るくてオープンで、ちょっとしたことは気にしないってよく聞くことも確かに当てはまっていたんですけど、その一方で日本人に似ているなって思うところもありました。建前と本音というのがタイ社会に根付いていたんです。

タイ人も人間関係を円滑にするために日本人以上に建前を使います。例えば、女性が「最近太っちゃった」って言ったときに、「そんなことないよ。今が一番きれいなときだよ」って言っていたのに、その女性がいなくくなったとたん「ちょっとぽっちゃりだったよね」って言っていて。

その時にみんながハッピーだったらいいっていう文化。だから最後の方は褒められても素直に喜べない自分がいました(笑)。

あと、小さい子たちが土曜日、日曜日に親の仕事や兄弟姉妹を世話しているのがあたりまえ。家族の繋がりや地域住民との繋がりが強いと感じました。私が出かける時には毎回、質問をされましたね。「今日はどこに、だれと、何をするの?」帰ってきたら、「今日はどこにだれと何をしてきたの?」というように。

日本より温かみを感じますが、さすがに袋とかカバンの中を見られて「何買ったの」って言われるのはちょっと嫌な時もありました。

 

自分の教室を持つ

ー大学院を卒業された後は、どのように考えていますか?

タイに戻って高等教育機関である大学で教えたいです。タイの高校で教えていた時の卒業生が、遊びに来てくれた時に、大学では高校で日本語を習っているいないに関わらずゼロから統一して学ばないといけないと不満を漏らしていたのを聞きました。

そのようなカリキュラムでは半期は初級でおわってしまい、生徒のモチベーションも下がってしまいもったないと思います。中等教育機関を知るものとして、高等教育機関である大学に入って、授業が一貫するような繋ぎをしたいんです。そのためにカリキュラムや指導方針の仕組みを作る側にもなりたいと考えています。

 

ータイに戻られた後の最終的なプランはありますか?

60歳、70歳で自分の教室を持つこと。その前のプランはたくさん見えています。タイでの大学で教えると言いましたが、大学院卒業して、すぐじゃなくてもいい。日本の機関に入って、日本で働くのも大いにありえます。でも最終的には、タイに無償のオープンスクールを創りたいんです。

タイには協力隊員として行って、何かしてあげたいって思っていたのに、現地ではできないことばかりで。むしろ、温かく見守ってくれた方ばかりでした。その結びつきがあるからこそ恩返ししたいんです。

 

ー大石さんが海外に飛び出す原動力は、どこから来ているのでしょうか?

きっかけは、高校生の時に読んだ『私の仕事』っていう緒方貞子さんが書いた本でした。その本を読んでから難民支援に興味を持って、学生団体の広報部で伝える活動をしていました。

でもある時、聞いたことをただ、伝えることにどれだけ意味があるのだろうかと疑問に感じて実際に世界に飛び出してこの目で見てみたいって思ったんです。そこから、インドのワークキャンプやフィリピンのワークキャンプに参加してアジアの魅力に気づきました。

 

ー大石さんにとってのASEANとは?

可能性に満ちた場所。

私個人が活動する上でもそうですし、社会から見てもそうだと思います。タイだけでなく、ベトナムとかインドネシア、カンボジアとかもこれからもっと可能性があると思いますし。

生涯かけて、関わっていきたい場所です。

 

取材後記

私もカンボジアやフィリピンで日本語教育に携わっていた経験から進路として日本語教師という選択肢を持っていた。また私自身、落ちてしまったが、青年海外協力隊員を目指したこともあったため、大石さんのお話しを聞いていて、非常に魅力的な活動をしていらっしゃると感じた。

しかし、インタビューの中でも触れたが、日本語学習者が増えているにも関わらず、日本語教師という仕事は待遇が悪い。今後、人材に関わる仕事をする中で、日本語教育にも必然的に関わると考えられるため、今後も日本語教育に関心を持っていきたい。

 




ABOUTこの記事をかいた人

井上良太

中央大学商学部経営学科卒業。大学2年の夏にカンボジアに訪れたことがきっかけでASEANや教育、国際協力に興味を抱くようになる。 3、4年次のゼミでは社会問題を事業で解決している社会的企業を専攻し、インドネシアの社会的企業とのネットワークを広げていた。 現在は株式会社パソナの社員として雇用を通じた社会貢献の方法を勉強中。 将来は国内外で社会的企業のプラットフォーム作りに関わりたいと考えている。