5つ星ホテルで勤務という華やかさの一方で、孤児院の支援や僧院での日本語教育にも携わっている大河内義喜氏は「毎週日曜日に現地の人と会うことでいつも初心に戻れる」と話す。

もともと日本の児童養護施設で働いていた大河内氏だが、ミャンマーへの旅行をきっかけに、ミャンマーへ魅せられていく。今回は「働き方」の他にも、「現地人との関わり方」についてもお話を伺った。

 

ーミャンマーに来た経緯を聞かせてください。


大河内氏
「ミャンマーに初めて来たのは2000年1月。29歳の時。
もともと福祉関係の大学に通っていて、卒業後も東京の児童養護施設で働いてたんです。児童養護施設での仕事はすごいやりがいがあって、先輩もすごい人がいっぱいいて、ほんとに良い職場だったんだよね。

もういよいよ30歳となると、いろんなことを考えだす時期だと思うんですよ。それは明確な区切りがあるわけではないんだけど、やっぱりなんとなく、“30”という数字が持つ意味は大きい。僕の場合は「このままでいいのかな?」という問いかけのきっかけになったことは確かだね。

20代の頃って、アジアを回るのがすごく好きで、中国とか、台湾とかモンゴルとか。
その時も、なにかきっかけになるかなと思い、おもむろに海外旅行雑誌を眺めてた。

孤児院を見学できるツアーが組まれていて、その中にはインドやネパールもあったんだけど、なぜかミャンマーを選んでたんだよね。実は当時ミャンマーのことなんてほとんど知らなくて、「なぜミャンマー?」聞かれると答えられない(笑)

ツアーだったから、どんな人が来るんだろうと思っていたけど、僕一人だったんですよ(笑)そのツアーで孤児院に行った時は絵本をミャンマー語に翻訳して読み聞かせをしたり、泥遊びをしたりしてね。

孤児院だけじゃなくて、もちろん観光地も回ったし、ツアー客が僕一人だけだったこともあり、ガイドさんがお家に連れて行ってくれたりもした。そういう所で、ミャンマーの家族の団欒の様子を見て、なんか温かいものを感じたりしてね。

「ミャンマーってこんなとこなんだ!」って思ったね。
他にもいろんな国に行ったけど、「もう一回行きたい!!」とここまで思わせてくれる国はなかった。」

 

ーそうさせたのは、よく言われる「ミャンマーの人の良さ」ですか?


大河内氏
「なんだろうなぁ。話がちょっと変わっちゃうんだけど、ミャンマー人だけが特別魅力的というわけではないと思うよ。たぶんね、昔の日本もこんな感じだったんじゃないかなーと思うんですよ。

以前、児童養護施設で、新潟にスキーしに行ったりしていたんだよ。新潟に行ってみたら、「ここミャンマーと一緒じゃん」って思ったんです。例えば田舎で人が歩いてたらさ、声かけたくなっちゃうよね(笑)あるいは声かけられたり。人と人との距離が近いというかね。そんなこと東京じゃありえないでしょ?

僕はたまたまミャンマーに来て、家族・友達を大事にするミャンマー人の人の良さを感じたよね。でも、実はこれって日本でも、それこそ田舎の方に行けば本当は見つかっていたんだと思うんです。それが僕の場合たまたまミャンマーだっただけ。」

 

ーミャンマーに移住を決意したのはいつ頃だったんですか?


大河内氏
「初めてミャンマーに来た2000年の1月の後、次に来たのが2ヶ月後の3月だったんだよ。その後も日本の孤児院で働きながら、年に3回はミャンマーに来てね。
二回目にミャンマーに来た時に、あるミャンマー人の男性と出会って、それが“ミャンマーに住む”決意を後押ししたんだよね。

その後いろいろと調べて、ヤンゴン外国語大学でビルマ語が年間7万円で学べるということがわかって、その為にお金を貯めた。アパートも安い所に引越して、車も売って、二年間分の生活費と留学費を貯めて、ヤンゴンに留学しました。」

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ーどんな経緯でこちらで働くことになったんですか?


大河内氏
「ヤンゴン外語大学で勉強していた時、その後仕事があるとは期待していなかったんですよ。でも大学を卒業する時にやっぱりミャンマーに残りたいって思って、仕事を探し出しました。あまり日本人向けの求人がなくて、結構厳しい就職活動でしたね。

そんな時、知り合いから、あるホテルで日本人のセールスマネージャーを募集しているという話があったんですよ。自分はもともと児童養護施設で働いていて、全くの畑違い。ホテルで働くなんてことは考えられなかったですよね(笑)

もともとはここのホテルじゃなくて、別のホテルで働いていたんですよ。2年間の契約が切れた時に、当時の日航ホテル(現チャトリウムホテルの前身)の支配人に呼んでもらいました。」

 

ー全く畑違いのホテルでのお仕事。実際どうですか?


大河内氏
「自分はホテルで働けているというのはものすごく幸せなことだと感じてる。もちろん児童養護施設で働いていた時も幸せでしたよ?

ただし、あの時は30人の生徒と20人の職員。たった50人の世界だったわけですよ。
ミャンマーという日本からは離れた場所に来ることで、色々な人に出会えて、様々な関わりを持てて、児童養護施設で働いていた時とは違ったやりがいを感じていますね。

ミャンマーに来た人はこのホテルに泊まって、一周してヤンゴンに帰ってくるんですよ。みなさん本当に良い表情で帰ってくるんですよね。僕が初めてミャンマーに来た時にいろいろなもの感じたのと同じように、お客さんたちも色々なものを感じ取ってまた戻ってくる。

ミャンマーに魅せられた僕にとっては、お客さんにミャンマーの魅力を感じてもらえるのはすごく幸せだし、そのお手伝いが出来ているという意味ですごく幸せなことですね。」

 

ーまさに自分の原点に立ち返るようなお仕事ですね。ミャンマーを旅した人たちの顔がいきいきしているというのはなんとなく分かる気がします。

大河内氏
「ミャンマーを見てきて、「良くなかった」という人ってほとんど見たことがないんですよね。
その理由は多分2つあると思う。一つは「ミャンマー自体が良い」ということ。そしてもう一つが「ミャンマーの報じられ方が悪すぎる」ということです。期待値がマイナス50だったところから、一気に120くらいまで上がっちゃうんです。

最近は少し変わって来ているけど、少し前までは「軍事政権」だとか「暴動」などが多くて、その上情報も少なかった。でも実際に来てみると、そんなものあまり感じられないし、むしろ良いところなんですよね。そういうのに気付いて頂けると本当に嬉しいんですよ。」

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ーお仕事以外のお話を伺いたいです。大河内さんは寺子屋や孤児院といった場でかなり現地の人と関わっていますよね。どんなことをなさっているんですか?


大河内氏
「ミャンマーには寺子屋があって、そこで学習ができるんです。
20代から40代までの人が僧院で日本語、韓国語、中国語を勉強しています。もちろんお金払っていくところもいっぱいあるんだけど、そこの僧院は、寄付程度でお金がなくても学べるというところなんですよ。おかげで識字率がすごく高いんです。

日本語を教えている生徒と

私も僧院で日本語を教えることになって、2003年から上級クラスを担当することになったんです。普通に教えてもおもしろくないので、私自身が日本でもともとやっていた演劇を取り入れて、即興劇を通じて日本語を勉強してもらうことにしたんです。

ミャンマー人は恥ずかしがり屋が多いんだけど、みんな真面目で熱心なんです。それでだんだん慣れて来るんですよね。やっぱりその役になりきると、発音もすごくきれいになるんです。

10年前に僧院で日本語を教え始めて、今でも当時の生徒達とはお付き合いさせてもらってます。彼らにミャンマーのことをいろいろ聞いたり、現地の人達の考えていることを教えてもらったりしています。」

 

ーそれに加えて孤児院での支援活動もされているんですよね?

そうですね。

どの孤児院も寄付で成り立っているんですが、ミャンマーは仏教国ということもあって、仏教系の孤児院に寄付する人は結構多いんですよ。今関わらせてもらっているのはキリスト教の孤児院なので、資金集めが厳しそうだったので、最初に関わらせてもらいました。

最初は私一人だったんだけど、今は東京にあるSOSIAというNGOに参加して協力しています。なるべく先生達も、自立したいという意志があるので、支援の仕方に気をつけていますね。

5年前はまだ土地が安かったので、1.5エーカーの土地を孤児院で購入したんです。そこでお米や野菜を自分達で作って、余ったものは市場で売って。子ども達も先生達もいきいきしてる。

単なるお金の寄付だけじゃなくて、そういう風にできているのはよかったなあと思ってる。自分は好きだから関わらせてもらいたいと思っているんだけど、基本的には外の人間が偉そうにごちゃごちゃ口や手を出さない方がいいんだろうなと思っていますね。」

 DSC03343(ホテルに見学に来た孤児院の子ども達)

ー本当にいろいろな関わり方をしているんですね。


大河内氏
「ミャンマーの中でもヤンゴンって特殊な街で、その特殊な中でも、ここのホテルは更に特殊なんですよ。
もちろんお客さんの多くは富裕層の方ですし、仕事のある時はそういう方達としか関わりがないんです。

でもこうやって、すごく貧しいというわけでもなく、すごく裕福というわけでもない、現地のみんなとの交流で、バランスをとっていたりしますね。アッパーの方だけ見ていたら、『じゃあなんでミャンマーなの?』ってことになってしまうと思うんですよ。」

 

ー大河内さんはローカルの人の視点にも立てている数少ない日本人のうちの一人だと思うんですが、最近のミャンマーブームについて、ミャンマー人は実際どう思っているんでしょうか?


大河内氏
「私の感覚はどうなのかなというのが心配だったので、寺子屋の生徒達に聞いてみたんですよ。

『今の状態を点数で言ったら何点か』と。そうしたらね、『65点くらい!』といったんですよ。なんかね、65点という微妙な感覚がいいなと思ったんですよ。

要は、変わりつつあることに、彼女自身も期待を寄せている部分がある。でもやっぱりまだわからないという意味で65点という。それがすごく大事だと思うんですよね。
例えば最近『ミャンマーはすごい。最後の楽園だ。』そんな感じでビジネスに来られる方もいる方もいるけど、そんな簡単なものじゃなくて。

実はこういうホテルや一部の外国人を相手にしている所はある意味恩恵を受けているんですよ。とは言えホテルでもミャンマー人のお給料はまだまだ低いので、その他の業種だともっと厳しいと思います。」

 

ー海外に出てみたいけど、その一歩が踏み出せない人達っていっぱいいると思うんですよ。そういう人たちに対して何かメッセージがあればお願いします。


大河内氏
「一言で『海外に行ったほうがいいよ』みたいなことは言いたくないんです。『
その国でなにを得たいか』が大事だと思うんですね。

自分は、ミャンマーに来て、ミャンマー人と触れ合って、自分のものさしが広がったと言ったけど、実はその感覚って、新潟の田舎の方でも得られたかもしれないんですよ。

確かにマスコミとかでも、海外に行けと、日本はダメだからと。でもね、そう言いながら、それが世界を潰している部分もあると思うんですよ。なにを大切にして生きていきたいか、とちょっと立ちどまって、一緒に考えていきたいですね。」

 


(インタビュアー・編集 早川 遼       写真  鈴木佑豪)

 

《編集後記》
改めて、大河内さんの強みは「幅広いミャンマー人の感覚」がわかっていることだなと感じています。例えば年収1000万円の駐在員が、孤児院の子どもたちと蜜な関わりを持つことは難しいし、逆にボランティア活動を行っている人からすれば、トップクラスのビジネスの動きについて、実際のアクターから話を聞くことも難しいでしょう。その点大河内さんの場合、普段は5つ星ホテルという場で働いている一方で、孤児院や僧院といった場で、図らずも“一般のミャンマー人の感覚”を身につけている。

今のミャンマーブームはミャンマー人の目にはどう映っているのか。民主化に寄せる期待感はいかほどのものなのか。ミャンマー人にとって日本とは、日系企業とはどんな存在なのか。こういったことを、分け隔てない関係で現地人から情報を貰えるというのは本当に素晴らしいことだと思います。日本人が外国人として、働く以上、現地の人との関わりを考えることは不可避であり、この部分をおざなりにしていては、どの分野においても本当の意味での“成功”は難しいのではないか。そんなことを考えさせられるインタビューでした。


《関連URL》
・NGO団体SOSIA ホームページ
http://www.ngo-sosia.net/