2016.10.01

1994年に当時勤めていた人材紹介会社の香港オフィス立ち上げを皮切りに、アジア中のオフィス立ち上げを歴任。2007年の独立後はシンガポールを中心に人材紹介を展開してきた荒屋氏は、シンガポール日本商工会議所賃金評価委員、ビンテージアジア経営者クラブ代表も務めている。そんな経験豊富な荒屋氏に、現在に至るまでの波乱万丈ストーリーと、日本、いや世界が迎えつつある”大転換期”への備え方を伺った。

《プロフィール|荒屋貴氏》

大学在学中に中国留学を経験。大学卒業後は大手メーカーの海外営業部を経て大手人材派遣会社テンプスタッフ株式会社に転職。中国人パートナーとの香港オフィス立ち上げを皮切りに、海外統括本部長としてシンガポールなどのアジア中のオフィスを立ち上げる。2007年にシンガポールで独立し、現在はファイド株式会社代表取締役とシンガポール日本商工会議所において賃金調査委員も務めている。

 

運命の出会い

—シンガポールで長年人材紹介をしてこられた荒屋さんの、現在に至るまでの経緯を教えてください。

大学卒業後は大手製造メーカーの海外営業部で働いていたのですが、あまりモノが好きになれなくて、働いていた高層ビルから海や空を見てはうっかり寝てしまってしまうような状態でした。

しかし、ある勉強会に参加させていただいてから運命が変わってしまったのです。そこには名だたる大企業の重役の方々が集まっていたのですが、偶然変わったカタカナの会社の人がいたんですよね。それが1986年の労働者派遣法施行以降、人材派遣会社として急成長中だったテンプスタッフの理事長でした。それは1993年、私が32歳の時でした。

その理事長が、「荒屋君は、モノを扱うのが苦手だとしたら、人を扱うのに強いんじゃないかな?」と言ってくれて、その通りだと感じました。

当時の日本では、人材派遣はまだメジャーではありませんでしたが、「アメリカでは半分が人材派遣だし、今後成長する業界だから一緒にやらないか」と誘ってくださったのです。好奇心はかなり強い性格でしたので、妻の反対を押し切って転職することにしました。

入社三ヶ月目にもかかわらず1人で香港オフィスの立ち上げ

いざ入社したものの、突然白羽の矢が立ってしまい、1994年4月から1人で香港オフィスの立ち上げを任されてしまったのです。入社して3ヶ月しか経っておらず、人材派遣のことなんて全く知らない、今から考えたら異常としか思えない状態で赴任することになりました。

そこからは色々な人のアドバイスを参考にしながら仕事に打ち込んでいました。当時は会計士や弁護士に頼むということすら知らない無知な状態でしたので、かなり苦労したのですが、幸いにしてビジネスとしては増収増益で、うまくいきました。

その際には香港の女性社員にとても助けられましたね。彼女たちは日本語がペラペラであるに加え、ハングリー精神が強くてとても心強かったです。香港企業でもないのにあれほど一生懸命働いてくれたので、目標達成のためには国籍なんて関係ないなと感じました。

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中国で火事場の馬鹿力を発揮

そして1998年、そろそろ来るかなと思っていたタイミングで、本社から電話があり、シンガポールに行ってくれという指示を受けました。

せっかく香港での事業が軌道に乗っていただけに、後ろ髪を引かれましたが、実はその電話の直前にハローシンガポールというフリーペーパーを発行する会社の方が「ハロー香港も始めるのでよろしく」という挨拶に来てくれていたのです。これはもう神の啓示だと思い、シンガポールオフィスの立ち上げを始めることになりました。

そして2000年からは今いるシンガポールオフィスをアジア統括拠点として機能させ始めました。ところが今度は上海オフィスでトラブル発生です。

当時中国本土に展開していた日本の人材派遣会社は、グレーゾーン的な状態で営業をしていたのですが、突然テンプスタッフだけ、ライセンスなしで営業していると週刊誌に叩かれてしまったのです。だから本社から1ヶ月以内に上海での営業ライセンスを取得しろという無茶振りをされてしまいました。

当時上海はまだ外資参入がかなり厳しく、数少ない前例としては日本の歴史ある大企業が日中両政府と闇でドロドロしてやっと2級ライセンスを取得できたくらいでした。

さて、資金も歴史も政府の応援もないなかでどうすればいいのかと途方に暮れていたところ、ある中国人男性との出会いをきっかけに、男気だけで、中国における外資としては史上初の1級人材紹介ライセンスを取得できました。

その時悟ったのは、こういった修羅場をくぐると人間は火事場の馬鹿力というように、超能力のようなものが身につくのだなと。(笑)

それからアジア中のオフィスを立ち上げた後に、2007年に独立することにしました。最初は東京エグゼクティブサーチという社名でスタートして、それを略してテクサ−と改名してたのですが、テキスタイルなどとよく間違えられたのでファインドリクルートに変更しました。しかし「ファインド」と「リクルート」の意味が重複しているということで最近「ファインド」にしました。(笑)

—なるほど、 波乱万丈だったのですね。実は最近、シンガポールに新卒で就職したいという相談がアセナビによく寄せられています。この3人の方々の例に対して、長年シンガポールで人材紹介をしていらっしゃる荒屋さんからのコメントやアドバイスをいただきたいです。

基本的にシンガポールの就労ビザは申請者の出身大学、職歴、給与といった要素が重要なのですが、最終的にはMinistry of Manpower (MOM)の判断です。

いくらビザ申請者が高学歴、高収入の優秀な人でも、その会社がシンガポール人をあまり採用していないだとか、その会社がシンガポール企業と競合関係にあると落とされることもあります。逆に申請者が高卒でも、カジノといったシンガポールにとってウェルカムな産業であれば通ったりします。

ただそういったケースは本当に例外なので、それをあてにされては困りますが。

【新卒海外】一度目の就活で挫折。大学卒業後フィリピン留学、そしてシンガポールの外資系企業へ。渡辺成明さん

すごいですね、これはとても稀なケースです。普通ではありえないですが、「運がいい」というのもあるでしょうね。新卒に関しては、新卒の方が磨きがいある、企業カラーに染めやすいという理由で募集していた会社もありましたが、最近はかなり厳しいのが正直なところです。

【新卒海外】「前例がないという理由でやらないなら、海外で前例がないことにぶち当たった時対処できない。」シンガポールの米系リサーチ会社に就職 その後米系大手IT企業に転職。村石 詠莉紗さん

海外就職の戦略をここまで徹底的にするのはすごいですね。日本でのインターンに加えて、マレーシアでの人材会社でインターンをして情報収集するとは、相当のやり手ですね。

「この5年、東京が1番面白い。」シンガポールのゴールドマン・サックス・トリップアドバイザーを経て、日本で起業。インバウンド業界をクラウドソーシングで支える 株式会社SQUEEZE代表 舘林真一氏

このような例は聞いたことがありますね。欧米の大学に留学して箔が付いたという見方です。特に欧米の金融機関の採用スタンスがとても柔軟で、そのような抜け道を探すのはありですね。

3人とも普通の人とは違う何かを持っていたんでしょうね。非常にアンテナが高くすごいと思います。「求めよ、さらば与えられん。」とか、「引き寄せの法則」というのがあるように、物事に強い想いを持って行動すればかならず道は開けるということでしょう。この3人の方々は例外ではありますが、努力と情熱が運を引き寄せたのでしょう。

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ピンチはチャンスだ

—では国内外を問わず、大学を卒業して就職しようとしている方へアドバイスをいただきたいです。

まずは日本の大企業に就職することが本当に安定なのかを考えてほしいですね。平成元年、1989年の時の世界時価総額ランキング50位の内、32社は日本企業でした。

しかし2016年にはトヨタ自動車が31位に入っただけで、残りはアメリカ、そして中国の台頭が顕著です。

私の時代は終身雇用、年功序列、労働組合という三種の神器で守られていて、さらには社内結婚までサポートしてくれるという、今から考えるともはやSFのような世界でした。

もうそれらが崩壊しているということはほとんどの方が知っているはずなのに、未だに就活生が就職したい企業ランキングに昔と大差がないというのは、かなり危険だと思います。

実際に大手金融機関の方々とお話をしても、既存のビジネスが成り立たなくなっていくことに大きな危機感を抱いています。具体的には、今まで保険会社は自動車保険で大きな利益を出していましたが、今後自動運転が当たり前になって事故が起こらなくなることもそう遠くはないでしょう。

もっと言うと、日本に居続けることが安定なのかを考えてほしいですね。日本は今、戦前に戻っています。野坂昭如という『火垂るの墓』で有名な作家は、最期に「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」と書き残したそうです。

この言葉への解釈は人それぞれですが、要は、泰平の時代は終わり、新たなグローバル戦国時代が始まろうとしているのです。

顕著な例は給与です。日本人の年収がどんどん減って、現時点で平成元年に戻っています。昔は大企業の駐在員への海外手当で家が建つとさえ言われていましたが、今は無理です。実際に大手総合商社の方も転職がしたいとよく相談にいらっしゃいます。

他にも、一人あたりGDPの低下、ギリシャやイタリア以上に膨れ上がった政府総債務残高対GDP比、南海トラフ地震、原発問題、北朝鮮のミサイル問題、もう枚挙にいとまがないですね。東京オリンピックは無事開催されるのでしょうか・・・

それらによる財政負担を、50%の相続税で個人の資産から奪うなんて、ありえないですよ。シンガポールは相続税なしですからね。そりゃ日本の富裕層がシンガポールに来るのも当然でしょう、

日本は、いや、世界は大転換期にあるのです。ただ悲観する必要はないと思います。このような混沌の時代だからこそ、挑戦する価値があるのです。

香港や上海での経験を振り返ってみても、そういった「ピンチはチャンス」だと捉えて乗り越えてきたからこそ今の自分があると感じます。

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前向きな危機感を持て

—この戦国時代において、シンガポールは今度どうなっていくのでしょうか?個人的には、シンガポールは最近成長が鈍化していることに危機感を感じて、新たなイノベーションを起こそうと必死なように見えます。

まず世界の金融都市ではロンドン、ニューヨーク、シンガポール、香港、ちょっと堕ちて東京という位置づけですよね。東京以外に共通しているのは、かつてイギリスの支配下にあったということです。

台湾が入れないのは、イギリスの金融システムを吸収していないからです。コンテナの取扱量でも、シンガポールと香港はダントツですよね。

まあイギリスの影響というのは過去の話ですのでさておき、決定的に違うのは、国のトップの危機感ですね。小さくて外国依存の国だからこそ、絶対に気を緩めることができないという危機感が強いのです。日本とはかなり対照的で、この前向きな危機感こそがシンガポールの強さでしょう。

要するに、国の経営も、会社の経営も、ポイントはヒトです。誰が、誰と、どうするか次第です。

来る戦国時代に備えよ

—来る戦国時代に備えなければなりませんね。その戦国時代を行く抜くためにはどうすればいいのでしょうか?

おすすめは語学習得、健康管理、成功哲学の研究ですかね。

今度翻訳機が発達するでしょうが、人間には感情がありますから、例えば中国語が話せるかどうかで中国人の友達になれる確率が高くなります。日本語を話せない外国人より、日本語を話してくれる外国人の方が友達になりやすいのと全く同じです。そうすることで、貴重な情報を入手しやすくなります。

私は中国語が話せますが、シンガポールではあえて中国語を話したり、話せないふりをしたりします。3カ国語あれば理想ですが、最低でも英語はできないと、マシンガンを持っている敵に槍で戦おうとしているようなものです。ビジネスも恋愛も、相手の気持ちを掴むには言葉が重要です。

次に、いくら優秀でも不健康では戦国時代を生き抜けません。お酒や煙草に一切手を出すなというわけではありませんが、40歳くらいからガタッと体がだめになります。健康を失ったら、仕事も、家族も失うかもしれません。私は毎日朝5時に置きて運動をしているので、そこには自信があります。

最後に、前向き志向を癖にする研究をおすすめします。社会に出ると、辛いことや理不尽なことが起こってしまうので、どうしてもマイナス志向になってしまいがちです。しかしそういったネガティブなことを、ポジティブに捉えることができるかどうかが、成功者になれるかどうかの鍵だと思います。

ですのでナポレオン・ヒルやスティーブン・R・コヴィーの著書を丸暗記するくらい研究して実行すればいいと思います。根拠のない精神論のようですが、結局はそういった前向きな考え方や情熱が決め手になるのは、誰もが分かっているけど実行できていないことなのです。

ピンチをチャンスに捉える、ネガティブ志向をポジティブ志向にすること。これを読者の方へのメッセージとして締めたいと思います。