2016.09.23

「あすか先生に会いたい!」ベトナムでの日本語教師を退職してしばらく経った今でも元教え子たちからのメッセージが絶えない井浦氏。帰国後は日本文化インストラクターという特異な仕事をこなし「軸を持つことの大切さ」を具体的に語る同氏に、“新卒海外就職の帰国後”と“海外就職を検討する若者へのメッセージ”を中心に話を伺った。

《プロフィール井浦あすか氏》
埼玉県出身。筑波大学日本語日本文化学類卒業後、2012年よりホーチミン市師範大学で日本語を3年間教え、居合道の普及や日本語学習動画の作成にも取り組む。帰国後は2016年から東京・浅草で日本文化インストラクターを務める。趣味は読書。

中学の時からの夢、日本語教師をベトナムで実現

— 井浦さんが日本語教師になったきっかけを教えてください。

小学生の頃、昔国語教師をしていた母や本を通じて「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし(=秋の日が急に沈むことを、井戸に落とす釣瓶にたとえていう言葉)」「立ち待ち月・居待ち月(=陰暦17日の月)」などの日本の文化や風景から生まれた言葉を知り、日本語や日本文化に興味を持ちました。

中学に入ると国内外を問わず「文化」が好きになり、文化と言葉の繋がりを海外の人と一緒に学べたら、と思うようになりました。それが外国人と関わる日本語教師になった動機です。

高二の時に日本語教師を養成する筑波大学の日本語日本文化学類(日日)を志望しました。

 

— どんな学生生活を過ごしていましたか?

大学では日本語・競技ダンス・バイトの三本立てで、競技ダンスに熱中していました。今思うと、短期留学などを利用してもうちょっと海外のことを勉強しておけばよかったなと思います (笑) 。

大学三年生の時にマレーシアの大学で1ヶ月間の日本語教育実習を行い、その時初めてアジアと関わりました。その大学で日本語の面白さをしっかり伝えている先生と純粋な学生たちに魅力を感じ、「卒業後は絶対に海外で日本語を教えよう」と決意しました。

そして大学卒業後にそのマレーシアの大学で働けると思っていたのですが、その大学の予算の関係で外国人の雇用が出来なくなった、という連絡を受けたんです。

当時他の選択肢を全く考えていなかったのですが、その事情を筑波大学の日日の先生に相談したところアジア中の高校や大学での日本語教師の募集を紹介してくれ、ベトナムで日本語を教えることになりました。先生が勧めてくれたから、安心して行けましたね。

大学では第二外国語としてスペイン語を勉強していたし、本当はヨーロッパで日本語を教えたかったんですけどね(笑)。でもヨーロッパで日本語を教えるためには修士や博士が必要だったんです。

 

— ベトナムに来たことに後悔はなかったですか?

最初、ベトナムはインドみたいにバスの車窓に人が溢れているというイメージだったんですけど、現実はイメージと違って発展しているし、人が優しくて、ご飯がおいしく、生活もしやすそうだと分かって初日でベトナムを好きになりました!

 

— 新卒でベトナムに行くことになったんですね。

はい。ホーチミン市師範大学という教師を養成する大学で教えることになり、生徒たちとほとんど年齢が変わらない自分が教えてもいいのかという不安はありました。

しかし、筑波大学の日日の学部長に「誠心誠意やればいいのよ」と言われて「自分ができることを真剣に心をこめて行えば伝わるのか」と考えるようになりました。

 

— ベトナムに行くことに対して周りからの反対はありましたか?

「え、ベトナム!?」という反応はありましたね。でも、私としては日本語教師をするために行っているから、その舞台がアメリカでもモンゴルでも北海道でも屋久島でも関係ありません。『海外だから』と構えることはありませんでした。

親や祖父母の世代は“ベトナム=ベトナム戦争”のイメージが強く、周りに心配されて足踏みしてしまう若者もいると思います。でも自分がやりたいことがあるなら周りを気にせずに行けばいいです。

 

日本語教育と居合道の2つの“軸”

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(日本語教師1年目、会話の授業の学生たちと)

— 井浦さんはどういう想いを持ってベトナムに来られたのでしょうか?

私が教えることが学生たちにとって日本のすべてになるかもしれないという自覚を持って、日本語を教えたかったです。あとは小さい頃からやっていた居合道をベトナムで普及させることも当初からの目的でした。

大学で教え始めた2, 3週間後には大学で居合道の演武をして、それを見た数名の学生が「私たちもやりたい!」と言ってくれたので居合道クラブを始めました。

 

— 何のために居合道を学生に教えたのですか?

最終目的が『人間形成』である居合道を通して、学ぶ姿勢・敬う心・向上心・謙虚さなどを伝えたかったんです。

またベトナムの大学には本格的なサークル活動がなかったので、学生たちに活動の場を与えたいという気持ちがありました。

日本語教師として勤めた期間と同じ3年間居合道クラブの活動を継続して、日本語学科以外の学生や社会人も参加してくれるようになりましたね。

この活動を通して学生たちに礼法を伝えることができ、ある学生が「アメリカ人の友だちに居合道を紹介して自分を誇りに思いました」という連絡をくれた時、やっててよかったなと思いました。

私の「居合道」のように、海外に出る際は自分に自信の持てるものを1つアピールできるといいと思います。それをきかっけに現地の人と関わりを持てるので。

東南アジアに来る場合は、絶対に現地の国の人と友だちになった方がいいです。日本人ばかりと集まることはどこでも出来てもったいない。

 

— 現地の人と友だちになりやすいというのは10, 20代の特権でもありますよね!

若い人は特にそうですね。私は親友になったベトナム人がいるのですが、カタコトの英語で村上春樹の小説を話題にして仲良くなれたことが驚きでした。

ベトナム人と仲良くなればベトナム語を教えてもらえるし、家族みたいに接してくれますね。

 

ベトナム独自の職場構造と働き方

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(ホーチミンで開催された日本語スピーチコンテストの司会を務める)

— そんなベトナム人たちと一緒に働く際に気をつけていたことはありますか?

距離感です。教師同士で授業を改善するための会議や話し合いをしたかったのですが、ベトナム人日本語教師たちはプライドが高く、授業をお互いに見せ合うことがなく、改善の機会をつくれなかったです。それがベトナムのやり方だと理解しました。日本人の考えを彼女たちに押し付けてしまうと離れていくし、何もやらないのも来た意味がない。どこまで突っ込めばいいかの距離感が難しかったです。

あとは東南アジアの共通点だと思うのですが、教師の世界でも権力がものをいいます。一度教師同士で二つの派閥に分かれてしまったことがあって、最初は「そんなにお金や権力でしがらみがあったの!?」とショックを受けました。しかし、それでその社会を離れてしまうと意味がないし、日本とは違うからと割り切るしかなかったです。歴史に根付いた“権力”がどれくらい大事なことかに気づくまで、少し時間がかかりました。

そのベトナム人特有の部分に外国人の私が入っても意味はないし、関わらないようにしていました。ベトナムの文化である「権力を見る」ということを否定的に見過ぎないようにはしていましたね。

 

— “権力”の存在に気づいたことで、井浦さん自身の行動で何か改善したことはありますか?

仕事とプライベートの感情を分けるようになりました。大学のベトナム人日本語教師には生活面でもサポートしてもらっていましたが、仕事は別のものとして、仕事中は仕事上の教師同士の立ち位置を尊重するようにしました。

あと「人間関係のゴチャゴチャは日本でもベトナムでもどこでもあるんだ。私は学生に対して出来ることをやるだけだ」と気持ちを切り替えました。

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(2015年8月、教え子たちの卒業式で)

— 井浦さんは新卒でベトナムに行かれましたが、それはよかったですか?

新卒で行ってよかったと思う面もありますが、日本でもう少し経験を積んでから行ってもよかったかなと思うこともありました。

よかった点は、ベトナム独自のやり方や日本語教育の構造を素直に受入れられたことです。その一方で、日本で経験を積んでアイディアがあれば、教え方や計画を立てる時にもっと効率的に取り組めたと思います。

 

— 日本語教師以外の仕事も現地でされていましたか?

ベトナム生活の2年目から、日本の教材出版社にも所属していました。師範大学にビジネス講座の出張講義に来ていた筑波大学の先輩に声をかけられ、日本語教材のベトナム語訳を出版するため、私は日本の会社とベトナムの出版関係をつなぐ仕事をしていました。また大学内に学生がいつでも来られる小さい図書館のような学習開発センターをつくり、私も日本語学習の動画をつくったりしました。

(参考) あすか先生と!日本語を学ぼう【かんじ(1)かんじのなりたち】 (YouTube)

 

— 新しい会社での仕事を始めてよかったことは何ですか?

拠点を構えて複数の仕事を形にできたことです。このように収入先を2つ持って柔軟に仕事をすることは日本では難しいですね。

また日本側の上司から教えられることも多く、学生との関わり方もよくなりました。日本語を教えることを通して学んだことを企業に生かし、企業で学んだことを日本語教育に生かすことができたと思います。日本語教師だけをやっていると教師独特の世界に入ってしまってよくないと感じていました。社会人を経験した後の先生は色々な経験を授業や話に反映させることができ、面白いですからね。

 

— 日本語教師を辞めたのはなぜですか?

大学院に進学したいと思ったからです。

2015年9月に師範大学が開催するホーチミン市でのスピーチ大会を最後の仕事として終え、帰国したのですが、このまま大学院に進学したら日本で就職できなくなってしまうという危機感がありました。

結局、帰国後は3ヶ月間都内の日本語学校で教えながら次の職を探しましたね。日本の日本語学校は海外の学校とは教える内容も教育の目的も違い、私が関わりたい日本語教育は海外のものでした。日本で日本語教師は続けていけない、と強く感じました。

(参考) あなたは本当に東南アジアで働きたい?50代早期退職後ベトナムで日本語教師として勤めた 井上徹氏

帰国後は日本文化インストラクターとして

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(日本文化インストラクターとして茶道文化を外国人観光客に伝える)

— 今、井浦さんはどのような仕事をしていますか?

日本文化インストラクターです。東京の浅草で茶道・書道・着付けなどの日本の伝統文化を外国人・国内観光客に体験してもらう仕事です。浅草の人力車を運営する時代屋という会社が日本文化を普及する事業を広げようとしていてその募集に応募しました。日本文化を仕事に出来るのは他にないと思ったんです。

日本文化にどっぷり浸かれることが幸せで、また学び続けていくことができるので、この仕事を続けていきたいと思っています。この事業では居合道のメニュー化も進めています。

今色々と学んでおけば、将来また日本語教育をやるときに生かせます。

 

— それでは井浦さんご自身の今後の展望を教えてください。

今の仕事を大きくすることに加えて、日本語と日本文化をつなげたことをやりたいです。それは日本人向けでもいいですし、外国人向けでもいいです。

小学校・中学校・高校などに出張講義をして「伝統文化から学ぶ日本語」などの文化と言葉をつなげたことをしたいですね!

また、最近日本語が乱れていると言われ、LINEで似たような言葉遣いしか出来ない日本人の子たちにもっと色々な言葉があるということを伝えたいです。

あとは武道や着物などの日本文化の図鑑を書きたいんです!イメージとしては、三味線や琴の絵があって、この部分からこういう言葉が生まれたんですよということを書きたいです。例えば日本刀でいうと、持つところを「つか」というのですが、そこから「つかの間」という言葉が生まれました。

海外に定期的に行って日本語と日本文化を教えるカルチャースクールのようなものもやりたいです。

今浅草を中心にやっていることをもっと遠くへ広げたいと思っています。日本文化や日本語にはずっと触れていたいです!

ブレない軸を持ってユニークな存在に

井浦さん_インタビュー時

— ベトナムと日本の両方の職場を経験され、その違いは何だと感じますか?

日本では多くの人が自分の頭で考えて効率よく業務を進めるために工夫しているところです。ベトナムでは自由で、私も自分なりに考えてはいたつもりだったのですが本当に甘かったと帰国してから気づかされました。すごくぬるま湯でしたね。

自分がしっかりしないと、いくらでも手を抜ける状況だったからです。例えば、契約の段階から「本当にこんなんでいいの?」という内容があったり、大学では会議がなくて自由だったり。アドバイスされる機会もあまりありませんでした。

東南アジアで働く環境がぬるい場合、それがぬるま湯なんだとしっかり認識しないと、もしその後日本に帰って働きたいとなったときに大変なことになります。駐在で行く場合は別かもしれないけど、現地採用で行くと現地の上司も「まぁ、現地採用だから」とちょっと下に見る場合も。その自分の環境を客観的に認識せずに、「俺海外で働いていてすごいだろ」と思ってしまうとダメな方向に流れてしまいます。

もちろん海外に1人で行くとたくましくなりますけどね(笑)。学べることももちろんあり、その学んだことをどう生かしていくか、それをこの先どう使って行くかはその人の意識次第だと思います。

現地採用の人は夕方に仕事が終わり、日本より時間に余裕があると思います。サービス残業や通勤ラッシュのつらさがないのは楽ですよね。その時間を生かして勉強や別の活動をする人たちも多いです。

 

— 海外で働く前にしっかり考えた方がいい部分と現地に行ってから順応した方がいい部分はありますか?

考えるべきでないのは、「出来るかなぁ」「まだ経験ないしなぁ」というネガティブな気持ちです。実際にやってみないとわからないことはたくさんあります。目標と自信を持ちましょう!

目標がないと皆が一様に経験出来ることだけしか経験できず、それだけで色々とやった気になって終わってしまいます。目標が1つあるとそこから必要なこと・人との関わりができて、その人でないと出来ないことがどんどん生まれてきます。せっかく海外に行くのであれば目標を持たないとすごくもったいないです。

私は居合道・日本語という2つの軸のおかげでたくさんのつながりができ、現地のイオンモールやリゾート地ダナンのお祭りでの演武を実現できました。また日本人の友人の協力で演劇・書道・関西弁の授業を大学でしました。全部チャンスだと思い、チャンスをすぐに生かすことが大切です。

学生にとっては日本語が目標になってしまっていてはダメで、日本語を使って何をしたいかが大事。でも現実は、短期的な「日本語テストのため」や「日本語能力検定を取るため」の日本語となってしまうので、それをもっと手段と目的を分けて考えてもらうために“日本語(手段)”で“演劇をする(目的)”ということを伝えたかったです。

チャンスをものにするためには自分の頭で常に考えていなければいけないですね。何も考えていなかったら、「あ、この人は演劇をやっているんだ」で終わってしまい、一緒に課外授業をしようとは思わなかったと思います。常に意識をしていれば、関係ないように思えることもピーンとつながるんです。

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(ベトナムのリゾート地・ダナンの日越交流祭りで居合道の演武を披露)

現地スタッフとうまくやっている会社で働くべき

— 仕事を紹介されて始めると辞めるのも一大事だと思うのですが、いい企業を見極める上で大切なことは何ですか?また、東南アジアだからこそのいい企業の見分けポイントはありますか?

その会社が何をやっているか・どんな人がいるか・自分がそこでなにをするかの3つが大切だと思っています。その中でも「人」が第一なので、ベトナムに支社がある日系企業の場合はベトナムの代表がどんな人かを見るべきです。今はwebサイトや駐在員のブログなどでも現地の情報を集めることが出来ますね。

東南アジア特有のことだと、日本人が現地のスタッフと上手くやっているかどうかがポイントになります。たまに日本人の代表の人が現地スタッフを見下しているケースがあるのですが、現地の人のいいところをちゃんと伸ばそうとしている会社の方がいいです。もちろん日本人とベトナム人の間には時間の感覚の違いなどがあるけど、日本ではこうだとうまく伝えて、その人自身もベトナムの文化を理解して折り合いをつけてやっているところがいいですよね。

「ベトナム人だからここまでしか出来ないでしょ」という見方をすると自分自身もそのような見方をされてしまいます。現地の人とうまくやっている会社の社員はコミュニケーション能力が高く、社内の雰囲気もいいと思います。自分がそこに入った時にも信頼関係があって働きやすいですよ!
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— ホーチミンにはインターン生が多く、短期のインターン生は企業にとっては正直メリットが少ない存在だと思いますが、井浦さんは日本人学生の海外インターンについてどう考えますか?

現地で「すごい」「面白い」という感想だけを抱いて帰ってしまうのはもったいないので、現地の日本人からの指導があり、受け入れ企業がインターン生を成長させるという想いを持っているところに参加するのがいいと思います。

短期で来てその国を知った気になってしまうのは勘違いである場合も多いので、短期のインターンをどういう目的を持って行くかも重要です。

長期でいると自分のことを考えるようになり、新発見の数も多いので、インターンの期間は長い方がいいと思います。若い時期に来ると、現地の同世代と関わる刺激も大きいですしね。1年いたら自分自身が大分変わると思いますし、2年目や3年目にはまた新しい発見がありますよ!

前向きに、海外就職のその先を考えよう

— どういう人が海外で働くことに向いていると思いますか?

海外に行く人は体はもちろん心が健康な人であることが大事です。もちろん落ち込む時期はありますが、その気持ちを吹き飛ばせるくらいの熱い想いや自信があれば、何があっても大丈夫だと思います。文化に馴染めなくて脱落してしまう人もいるので、日本でも海外でもそうですが、前向きであるということも重要ですね。

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— それでは最後に海外で働く・働きたい人に他にメッセージをお願いします!

海外で働くのであれば、行ったその先のことも考えて欲しいです。

どれくらい行って何をするのか、それをした後は帰国するのか、違う国へ行くのか、その国で違うことをするのか。すぐに決めることはできないと思うけど、自分の中でプランを設計しないとなあなあであっという間に過ぎてしまいます。ぶれないようにしっかり自分の軸を持っていて欲しいです。私は軸がぶれぶれの時期が結構ありました…。

例えば、「これをやる」とか「2年間」とか何かしらの1つ決めておくとそれが軸になるので、1つのポイントをつくるといいと思います。そのポイント1つから色々と広げられますよね。その軸を考えるための情報収集は自分で主体的にしたらいいんじゃないかな、と思います。

あとは、現地語の勉強をしてみてください!言葉を知ると、その国がどんな国なのか、その国の人がどんな性格・行動・考え方なのかが分かるようになり、その対応策を自分で考えることができますよ。

ベトナム語を含め、言語は文化から生まれます。例えば、英語の“Oh my god”はベトナム語で“Trời ơi(チョイ オーイ)”と言います。この“Trời(チョイ)”は「天」を意味しており、ベトナム人には「天」の存在があることが言葉から分かります。

あと、現地で信頼できる日本人を見つけることも大事です。私には「甘いんじゃないの?しっかりしろよ!」と言ってくれる日本人の方々がいて、それが支えになっていました。迷った時に1人で考えていると悪い方に考えがちなので、信じている人に相談した方がいいですよね。そうすると全然違った角度から見た意見がもらえたり、自信を取り戻せたりします。「軸がぶれそうになったらこの人と話す」みたいなことを設定してみてもいいですね。

自分の最終的な答えは、客観的な視点を持って自分で「なぜ?」「なぜ?」と考え続けて決めてください。