ベトナムの日系旅行会社で4年半働き、帰国後はベトナム人の日本旅行に携わる TAGGER JAPAN福本陵太氏

2016.09.26

現地採用としてHISベトナム支店で4年半働き、現在は日本でベトナム人のインバウンド事業に従事する福本氏。もともと海外には全く興味のなかった彼が、どのようにしてベトナムで働くことになり、4年半の経験を経て再び日本で働くことを決めたのか。現地採用の「その後」に迫る。

《プロフィール|福本陵太氏》

TAGGAR JAPAN。高校卒業後に鉄鋼業の会社に勤める傍ら、ボランティアでベトナム人に日本語を教えてベトナムに興味を持つ。その後、ベトナム・ホーチミン&ダナンのHISで約4年半勤務し、帰国。現在はTAGGER JAPANでベトナム人旅行客のインバウンド事業を行う。

海外に興味のなかった学生時代

― どんな学生時代を過ごしていたのですか?

高校時代はサッカー部とバンド活動をしながらずっとアルバイトをしていました。勉強が好きじゃなかったんですけど、かといって何もしていないのは嫌で (笑)。体を動かすのは好きだったので、土日もずっとアルバイトをするような学生でした。高校を卒業してからは、学校推薦をもらった鉄鋼業の会社ですぐ働き始めました。工業高校だったため、進学という選択肢がそもそもなかったんですよ。

 

― 学生のころからベトナムや海外に興味を持っていたのでしょうか?

いや、全く興味はなかったですね。海外に出るとかいう考えもなかったですし、当時英語や外国人と触れる機会も全くなかったです。

 

ベトナムとの出会い

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(ベトナム南部のリゾート地ニャチャン)

― 海外に全く興味のなかった福本さんが、ベトナムで働くことになった経緯を教えてください。

最初にベトナムと繋がりができたのは、22歳の頃ベトナム人に日本語を教えるボランティアを始めた時です。職場が姫路市だったんですが、市内にベトナム人の難民定住センタ―があったのでベトナム人がたくさんいました。仕事をしながらベトナム人に日本語を教えるようになり、彼らと話しているうちに一度ベトナムに行ってみたいと思うようになって、一度ホーチミンに旅行に行ったんです。当時は街のどこも暗く、子どもが裸足で走り回る光景に衝撃を受けましたが、すごく楽しかったのでベトナムには良い印象を持ちましたね。

 

― その旅行がきっかけで働きたいと思うようになったのでしょうか?

当時はそこで働くなんて思ってもみなかったです。ただ、このままずっと同じ会社に勤めるんだろうなって思っていましたが、実は一方で仕事を辞めたいという気持ちもありました。というのも給料が低くて… (笑)。他の面では仕事に何の不満もなかったんですが、私にとっては給料が一番大事だったんですね。でも当時すごく不況だったので、仕事を辞めて就活するわけにもいかず、何かやりたいことが見つかったら辞めようと思っていました。

6年考え続けたんですが、最終的に日本語教師をしたいと思うようになりました。日本語を教えるボランティアをする中で、人と触れ合いながら相手に何かを伝えたり教えたりする仕事がやりたいと思うようになって。26歳の時に鉄鋼業の会社を退職して、日本語教育の専門学校に通い始めました。

日本語教師の就活を始めてからはとにかく手当たり次第受けていたんですが、周りには経験の長いベテランの方が多かったです。私はボランティアで教えていただけだったので、まともに勝負しても勝てないなと思いました。このままだと就職できないので、海外に行って現地の人に日本語を教え、それを経験にしようと考えたんです。

そこでフィリピン、インドネシア、ベトナムの学校に履歴書を送ったんですが、どこからも「すぐ来てください」と返事をもらいました。人が足りていなかったみたいなんですけど、日本であれだけたくさん落ちていたので、逆に怖くなってしまって (笑)。海外は旅行でしか行ったことがなく、海外生活というものが正直怖かったので、一旦現地の人材紹介会社に登録して旅行業を探してもらいました。

 

― なぜ旅行業だったのですか?

ずっと添乗員をやってみたかったんですよ。海外で日本人のお客さんを案内する仕事にすごく憧れていて、せっかく海外で働くならやりたいと思いました。その時はベトナムに絞っていましたね。やっぱりベトナム人に日本語を教えていた時、彼らから直接「ベトナムはすごくいいところだよ」って聞いていたし、自分も行ったことがあったのでイメージもしやすかったです。結局ライセンスの関係で添乗員はできませんでしたが、人材会社から最初に紹介してもらったHISから内定をもらって、ホーチミンで事務職をすることになりました。

 

― 仕事が決まった時、ベトナムで働いた後のことについてはどのように考えていましたか?

もともとは日本語教師を目指していたのに旅行会社に入った時点で、自分の考えが「海外に一度住んでみたい」という考えにシフトしていました。なので目標を持って行くというよりは、興味本位で行くことに決めましたね。英語ができなくて旅行業も初めてだったので、当時はもって1年ぐらいだろうと思っていました。1年働いたら帰国して、その後のことはその時考えるつもりでいました。

 

1年の予定が4年半働くことに

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(ホーチミン日本人コミュニティーのバレーボールチームでのシンガポール遠征時)

― 実際にベトナムで働いてみてどうでしたか?

最初は本当に辛かったです。朝礼もミーティングも全部英語。同じ時期に入った同期はみんな英語が話せて、旅行業を何年かやってきた人たちで。そんな中自分は英語も話せない素人で、パソコンも使ったことがないからメールの書き方すらわからず、すごく怒られましたね。同期は上司と話すときもいきなり専門用語を使っているんですけど、その内容がさっぱりわからなかったり。そんな環境がすごく辛かったです。精神的にも体力的にも疲れてしまい、恥ずかしいんですが3か月たった頃に母に電話したんです。

母からは兄が以前異業種の会社に転職した時の話を聞きました。兄も当時初めての仕事ばかりで上司からすごく怒られていたというのを、母は兄の奥さんから聞いていたらしいんですが、家族のために全部自分で乗り越えて今も頑張っている、という話を聞いて、すごく前向きになったんです。「自分は甘かった。もっと頑張らないといけない」と思えて、そこからぐっと仕事に向き合うようになるんです。

 

― それからどのような変化があったんでしょうか?

それからは土日関係なく、自分の時間を全て仕事に充てました。日本人観光客が行く場所に休みの日を使って出向いたり、ベトナムだけじゃなく近隣の国にも行ってみて、お客さんが次は違う国へ行きたいって言ったときに、いろいろ案内できるよう調べていました。自分の思いつくことで旅行に関することは勉強し、実際に現地に足を運ぶのを繰り返していましたね。

日本人の海外旅行がピークになる7~9月をがむしゃらに働いて10月になった頃、自分の中でひと超えしたという感覚があって、周りも私と一緒に仕事をしていると思ってくれているという空気感が見え出したのもその頃でした。そこでもう支店長に「辞めます」って言いましたね。

 

― なぜそこで辞めようと思ったのですか?

その時点で、その後も海外でやっていきたいと思ったんです。今自分がこうやって乗り越えられたのは、もちろん周りの助けもあったけれど、自分が「全力でやってやろう」って一歩踏み出したからだし、全力でやれば実際に乗り越えられるということを実感したのは、自分にとって初めての経験だったんです。

これからも海外で働いていくために、一度ちゃんと英語を勉強したいと思い留学しようと考えました。でもちょうどその頃、会社で他の人がたて続けに辞めることが決まっていたので、今辞めると困るということで、翌年の3月までは続けることになったんです。

 

― その後留学はどうなったんでしょうか?

留学するつもりでしたが、3月になった頃会社がベトナム縦断ツアーを始める関係で、ダナン支店に行かないかというお話をもらったんです。英語を勉強するのもいいけど、ダナン支店にはベトナム人しかいなかったので、日本人がいない環境に飛び込んでみるのもチャンスだなってその時思ったんですよ。それで留学をやめてダナンに行くことを決めました。そこで半年間働いて、その後はまたホーチミンに戻りました。

 

― ベトナム人と一緒に働く際、心がけていたことはありますか?

それが、ないんですよ。ベトナム人だからこうする、日本人だからああするっていうのではなく、一人ひとりのやり方、性格、考え方を彼らと話す中で時間をかけて知っていくんです。ベトナム人の部下ができた時も、全員同じやり方で教育するのはやっぱりだめで。一人ひとりと話をしながら相手の性格を知っていき、それぞれに合った方法で仕事を提示するようにしていました。これはベトナム人、日本人に関係なく、やっぱりみんなそれぞれ違いますからね。

 

その後日本へ

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(帰国後。ベトナム人学生の訪日修学旅行を受け入れる。)

― 福本さんはその後日本で働くことを決断されましたが、どういう想いだったのでしょうか?

当時外国人の訪日観光がすごく盛り上がっている頃で、それを知って自分でも調べ始めました。今や一般人にも「インバウンド」という言葉が定着している、というのを知ってすごく驚きましたよ。そんな専門用語を一般の人が知っているなんて考えられなくて、「日本は今すごいことになってる」と思いましたね。そこから日本でのインバウンド事業に関心を持ち始めて、調べを進めるうちに日本でベトナムからのインバウンドに携わったら面白い!と思って日本に戻ることを決めました。

現在の仕事内容としては、ベトナムから受け入れたツアーのクオリティコントロールをやっています。ツアーの添乗員もすることができていて、今がすごく楽しいですね。その時々にやってみたいと思うことをたどってきたら、ずっとやりたかったことに繋がっていました。

 

― 福本さんのこれからの展望を教えてください。

TAGGER JAPANが始まってまだ1年なので、今は会社を大きくするというのが自分の課題であり使命だと思っています。個人的には学生旅行にもっと力を入れたいですね。最近ベトナムからの学生旅行を受け入れたんですが、私はもともと教育や人に何かを伝える仕事がしたいと思っていたので、すごく楽しかったんですよ。ベトナムの学生たちの添乗員をするって大変なんですけど、楽しいことってどんなに大変でもしんどくないんだなって実感しました。

今はもっと学校や自治体とのつながりを広げていき、ベトナムからの学生旅行と、日本の高校生を修学旅行でベトナムに連れて行く、インバウンドとアウトバウンドの両方を拡大していきたいと考えています。

 

ベトナムで働く前、心に決めたこと

ベトナムに行く前に、一つだけ心に決めたことがあるんです。27歳の時でしたが、現地で出会う人にはすべて敬語で話そうと決めたんです。当時旅行業の経験はない、ベトナムについても知らない、今までやってきたことで自分が役に立てることは何もない。今海外で働いている人たちは、年齢関係なく何かしら自分より優れている人たちだろうと思いました。なので自分が無意識に偉そうな態度にならないよう、敬語でセーブがかかるようにしたんです。

だからってこれから海外に行く人にすべて敬語を使うべきだと言っているわけではないですよ。要は、人を大切にしてほしいと思っています。自分が助けられるのも、潰されるのも「人」だと思います。

 

「やってみたい」と思えたこと自体が幸運

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― 最後に、海外で働きたいと思っている若い人たちにメッセージをお願いします。

「行きたい!」って思ったなら、もう行った方がいいと思います。私はできれば早めに行った方がいいんじゃないかって思ってるんですよ。安定した生活のことを考えると、人間って動けなくなります。「安定って何だ」って思っていても、人ってやっぱり安定にすがるじゃないですか。でも、「安定」って存在しないんですよ。

20代前半はみんなすごくアツい想いを持っていますよね。でも30代になると本当に丸くなるんです。先が見える生活だけど、家族がいて子どもがいるっていう幸せから下手に抜け出せなくなる。別にそれが悪いってわけじゃなくて、日本人のほとんどはそういう生活をしていますよね。

そんな中でも「これを成し遂げたい」とか、夢は持つと思います。でも安定した生活を失うのは怖すぎるし、今でも十分幸せだから行動する必要も感じなくなって、結局誰もやらないですよね。だからこそ、若いうちにやってみたいと思うことはやるべきだと私は思います。

何かを全力でやったとき、そこから何も得られなかったことはないと思います。何かを「やってみたい」と思えたこと自体幸運ですし、チャンスだと思うので、はっきりした目標がなくてもとにかくがむしゃらにやってみるんです。そこで出会った人に何か言われて悩んでしまうかもしれない。それでも、一生懸命やってみる。

私もベトナムで働いていてすごく落ち込んだこともありました。知らないうちに周りの人に迷惑をかけたり、失礼なことをしてしまったり。でもやってみなければ何も知れないですからね。それでも自分なりに一生懸命やっていれば、必ず周りに伝わります。そうすれば周りも色々教えてくれるはず。一つ一つないがしろにせず周りの人を大切にしていれば、絶対それは自分にもプラスになってくると思います。

私はこうやって学生たちと触れ合うのが好きなんですが、学生さんってめちゃくちゃ悩んでるじゃないですか。いろんな悩みを持っているんですけど、でもね、やっぱり悩んだ方がいい。悩んで悩んだ末に何かをつかんだ時に感じる幸せって、人生にそう何度も訪れないですよ。それを何度味わえたかが、歳を重ねた時に「いい人生だった」って思えるかに繋がっていくと思う。

悩んでいる間はすごく辛いけれど、悩むことは全く悪いことじゃない。むしろ素晴らしいこと。きっと今後の人生も悩みが尽きることはないから、めちゃくちゃ悩んで、今のうちに悩み慣れしたらいい。そして、行動する。一生懸命やって、幸せと思える瞬間を味わったら、また次何しようって悩めばいい。その繰り返しで幸せをつかんでいけばいいんじゃないかなと思います。




ABOUTこの記事をかいた人

山川美香

早稲田大学社会科学部卒。大学2年次にボランティアで初めて訪れたマレーシアをきっかけに、多様性に満ちた東南アジアに興味を持つ。その後ASEAN諸国にて一人旅、語学留学、インターンを通じ、東南アジアでの就職を目指すように。 20代をこの先どこでも生きていけるための土台づくり期間に設定。様々なbackgroundを持つ人たちと働き柔軟性のある人間になりたいです。